むかしむかし、ある山あいに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんは山へ柴刈りに……ではなく、カメラを回しに行きました。おばあさんが、配信をしていたからです。
おばあさんの配信は、畑仕事と、味噌の仕込みと、縁側のお茶を、そのまま映すだけのものでした。チャンネルの名前は「縁側から」で、編集は、ほとんどしません。ここ二、三年で、登録者は十数万人になりました。
撮るのは、おじいさんでした。画面には手と声しか出ないので、視聴者には「カメじい」で通っていました。コメント欄の管理も、おじいさんの係でした。
おばあさんの名物は、自家製の唐辛子味噌でした。唐辛子味噌の回のコメント欄は、いつも同じでした。
「どこで買えますか」
「売っておりません」
返信するのは、おじいさんでした。唐辛子味噌は、家で食べる分しか作っていないのです。
ふもとの町の宇佐美さんは、登録者が三桁だったころからの視聴者で、唐辛子味噌の回には、毎回「秋祭りの味が、忘れられません」と書きました。
画面の横の「おすすめ」には、ときどき、山奥で夜通し開かれている宴会の配信が出てきました。鬼の輪の中で、知らないおじいさんが踊っていました。おばあさんは、それも少しだけ見ました。
秋のある晩から、コメント欄に、毎晩同じアカウントの書き込みが来るようになりました。名前もアイコンもない、匿名のアカウントでした。
「その味噌、本当に自家製ですか」
「編集したほうがいいですよ」
「縁側を、ぽんと映しただけですね」
書き込みは、悪口というほどではありませんでした。どれも、少しずつ答えにくいものでした。
おばあさんは、それを全部読みました。読んで、「そうですねえ」と言い、味噌の瓶のラベルに、仕込んだ日付を書き足しました。
おじいさんは、夜になるとノートパソコンを開いて、コメント欄を見張るようになりました。書き込みは、日が暮れてから明け方まで、ぽつぽつと続きました。ただ、一時間だけ、ぴたりと止まりました。
「毎晩、八時から九時だけは静かじゃな」
おじいさんは、それ以上は考えませんでした。
荒らしていたのは、山の反対側の、北の斜面に住む田貫さんでした。
田貫さんも、田舎暮らしを配信していました。チャンネルの名前は「北斜面から」。畑の大根も、仕込んだ味噌も、縁側も本物でした。毎晩、配信の前には縁側を掃いて、リングライトの角度を三度直しました。登録者は、三百人ほどでした。
田貫さんの配信は、毎晩八時から九時まででした。見ているのは、たいてい二人か三人でした。
「縁側に、湯のみを、ぽんと置いてみました」
見ていた誰かが、拍手の絵文字を一つ送りました。田貫さんは、画面に向かって小さく頭を下げました。
九時に配信を切ると、田貫さんは、湯のみを片づけ、別のアカウントに切り替えて、山の向こうの配信を開きました。
田貫さんの縁側からは、おばあさんの家は見えませんでした。見えるのは、向かいの山の稜線だけでした。家のうしろの、斜面のさらに上からは、炭焼き小屋の細い煙が上がっていました。

おじいさんは罠を……仕掛けるのではなく、NG ワードを設定しました。「本当に」と「編集」です。
その晩、書き込みが三つ引っかかりました。三つとも、同じアカウントでした。おじいさんはそのアカウントをブロックし、通報のボタンも押しました。ブロックしたアカウントの一覧には、一件だけが並びました。

翌朝、おじいさんは縁側で言いました。
「荒らしは、ブロックしておいた」
「どなただったんでしょうね」
おじいさんは、ノートパソコンを閉じました。
「知らんでいい」
そのとき、おじいさんのスマートフォンに、自治会の電子回覧板が一通届きました。「猪が出ました」。既読は、すぐに「4/4」になりました。
おじいさんは長靴をはいて、畑へ出ました。出がけに、一度だけ振り返りました。
「DM は、開かんでいい」
その晩も、北の斜面では、八時に配信が始まりました。








