むかしむかし、ある山のふもとに、寝てばかりいる若者が……いたのではなく、帰ってきました。
若者は太郎といい、都会の IoT のベンチャーで三年働いていました。田んぼに水位センサーを据えつけて、夜中に通知が来るたびに起きる係でした。会社の採用ページの社員紹介には、「睡眠三時間のショートスリーパーです」と載っていました。
会社は、三月の末日に倒産しました。
翌日、四月一日の昼、太郎はリュック一つで、駅から歩いて帰ってきました。田んぼの中の一本道で、軽トラックが二台、太郎を追い越していきました。玄関の戸を開けると、台所から母が顔を出しました。
「ただいま」
「おかえり」
「おやすみなさい」
太郎は二階の、子どものころの部屋へ上がって、そのまま寝ました。部屋は、高校を出たときのままでした。机の上には、英単語帳が一冊残っていました。
母はその晩、夕飯を一人分多く作りました。翌朝、それを父が食べました。
町の人が太郎を「寝太郎」と呼びはじめたのは、三日目からでした。ごみの集積所で、誰かがそう言ったのが最初だそうです。母は、訂正しませんでした。
農協の直売所のレジで、近所の人が母に聞きました。
「太郎ちゃん、いつまで寝るの」
「三年です」
「どうして三年」
母は、レジ袋の口を結びながら答えました。
「会社にいた三年間、寝ていなかったからです」
近所の人は、指を折って数えました。
「それなら、三年ですね」
そのあと母は、郵便局でも、美容室でも、同じことを聞かれました。指を折らなかった人は、いませんでした。
一週間後、宅配便が来ました。
会社から、最後に届いたのは、段ボールでした。
伝票の宛名は太郎で、品名は「精密機器」でした。側面には「天地無用」と書いてありました。受け取りの欄には、母が署名しました。箱は重かったので、父が納屋の農機具の奥へ運びました。父は、納屋まで三往復しました。
寝太郎は、寝ていました。

夏になると、父は夜中に三度、懐中電灯を持って田んぼへ出ていきました。寝太郎の部屋のエアコンは、母が二十七度に設定しました。寝太郎は、今日も寝ていました。
秋に、山あいのおじいさんから電話がかかってきました。寝太郎の家は、山あいにも畑を一枚持っていました。祖父の代からの畑で、名義は太郎になっていました。隣は、おじいさんの畑でした。
「畑の草、伸びとるが」
「持ち主は、寝ておりますので」
「なら、草だけ」
それから、おじいさんが草だけ刈ってくれるようになりました。起こしたことは、ありません。
母は、親戚のグループ LINE の管理人でした。グループには、親戚が八人入っていました。毎晩、寝太郎の部屋の戸を少しだけ開けて布団の山を写真に撮り、一行を添えて送りました。写真の布団の山は、毎晩、だいたい同じ形でした。
「本日も就寝中です(進捗に変更はありません)」
いいねのスタンプが、三つ付きました。

おじさんの返信は、たいてい夜中の二時に来ました。
「そろそろ起こしたら」
「起こさないでください。返済中ですので」
おじさんは、いいねのスタンプを送りました。
冬になりました。正月には、布団の山の写真に、門松のスタンプが付きました。寝太郎は、今日も寝ていました。
春が来て、夏が来て、冬が来て、また春が来ました。寝太郎は、三年目も寝ていました。
四月一日で、三年がたちました。寝太郎は、起きませんでした。その晩の報告は、一度だけ、いつもと違いました。
「返済計画を見直しました」
おじさんの返信は、その日だけ、夜中の二時を待たずに来ました。
「三年たったけど」
「三月は、利息です」
いいねのスタンプが、三つ付きました。
その年の夏も、父は夜中に三度、懐中電灯を持って田んぼへ出ていきました。









