むかしむかし、ある山あいに、蟹江さんという人がいました。
蟹江さんは、親から古い柿の庭を継ぎました。庭には古い柿の木が二十本あって、ほとんどが渋柿でした。親の代には、それを干し柿にして、町の道の駅に並べていました。蟹江さんは、空いた斜面に、柿の苗を二百本植えることにしました。腰には、いつも剪定ばさみを一本下げていました。
庭には、親の代から勤めている臼井さんという人がいました。臼井さんは、事務所の耐火金庫の鍵を預かっていました。蟹江さんが庭を継いだ日も、臼井さんはいつもと同じ時刻に来て、プレハブの事務所の鍵を開けました。
「今日から、蟹の庭です」
「はい。印鑑は、これまでどおりお預かりします」
苗を二百本植えるには、人手が足りません。蟹江さんは、求人票を出しました。職種「柿の栽培・収穫・加工・販売」、給与「二つからお選びいただけます」。道の駅の掲示板に一枚貼り、求人サイトにも載せました。
応募してきたのは、四人でした。
猿渡さんは、面接の前に、入口の脇の古い木のいちばん上まで素手で登り、降りてきてから、ジャケットの袖を直しました。栗原さんは、加工場の仕事を希望しました。蜂谷さんは、面接を待つあいだに、事務所の机に置いてあった柿の傷を三つ見つけました。牛島さんは、前は牧場で堆肥を作っていました。
臼井さんも、代替わりを機に、お給料を選び直すことになりました。

蟹がおにぎりを、猿が柿の種を拾った……のではありません。
面接の日、五人は事務所の会議机に、パイプ椅子を並べて座りました。机の上には、労働条件通知書が二通と、おにぎりが一つと、柿の種が五粒置いてありました。
蟹江さんは、通知書を一通ずつ指で押さえて、五人にまとめて説明しました。おにぎりは、毎月決まった額のお給料です。柿の種は、毎月のお給料を少し減らすかわりに、新しい木が実ったら、その利益を分ける約束です。
蜂谷さんが、手を挙げました。
「分ける利益の計算は、どこに」
「通知書の、裏に」
猿渡さんも、手を挙げました。
「実るのは、いつですか」
「桃栗三年、柿八年と申します」
「おにぎりで、お願いします」
猿渡さんは、契約書の、おにぎりの欄に丸をつけてから、言い足しました。
「八年は、待てません」
それから、その場でおにぎりを食べました。梅でした。食べ終えると、包んであったラップを小さく畳んで、ジャケットのポケットにしまいました。
誰も、何も言いませんでした。臼井さんが「では、わたしは種にいたします」と言って、最初に一粒取りました。続いて、ほかの三人も一粒ずつ取りました。栗原さんは種をハンカチに包み、蜂谷さんは種を窓の光にかざして、傷がないのを確かめました。
机の上には、柿の種が一粒残りました。
五人が署名した契約書は、臼井さんが、事務所の耐火金庫にしまいました。
春のうちに、蟹江さんと五人は、斜面に苗を二百本植えました。苗は、膝の高さほどでした。蟹江さんが穴の位置に杭を打ち、栗原さんと蜂谷さんが苗を運び、臼井さんが本数を数えました。猿渡さんは、二百本のうち八十本を一人で植えました。
牛島さんは、植え穴の土に堆肥を混ぜました。堆肥には、隣町のおじいさんから分けてもらった薪ストーブの灰が入っていました。おじいさんは、枯れ木に撒くと花が咲くと言っていましたが、苗は枯れていなかったので、そのまま土に混ぜました。
四人の柿の種は、庭の隅に植えて、それぞれに白い名札を立てました。臼井さんは、並んだ四つの小さな土の盛り上がりを見て言いました。
「先代は、毎朝、早く芽を出せと声をかけておられました」
「はさみは、剪定にしか使いません」
蟹江さんは、残った一粒も、庭の隅に植えました。

その春から、猿渡さんの昼は、いつもおにぎりでした。猿渡さんは、入口の脇の古い木のいちばん上で、斜面の苗を見下ろしながら、それを食べました。柿が実るまで、八年かかるそうです。








