原作:猿蟹合戦第一話 / 全四話 ・ 約3分

おにぎりで、お願いします。

連載「八年は、待てません。」
連載
八年は、待てません。
テーマ
お金
読了
約3分
公開
挿絵:プレハブの事務所の会議机に、労働条件通知書が二通と、おにぎりが一つと、柿の種が五粒。向かいには、腰に剪定ばさみを下げた作業着の蟹江さん。パイプ椅子の五人のうち、ジャケット姿の猿渡さんがおにぎりに手を伸ばしている

むかしむかし、ある山あいに、蟹江さんという人がいました。

蟹江さんは、親から古い柿の庭を継ぎました。庭には古い柿の木が二十本あって、ほとんどが渋柿でした。親の代には、それを干し柿にして、町の道の駅に並べていました。蟹江さんは、空いた斜面に、柿の苗を二百本植えることにしました。腰には、いつも剪定ばさみを一本下げていました。

庭には、親の代から勤めている臼井さんという人がいました。臼井さんは、事務所の耐火金庫の鍵を預かっていました。蟹江さんが庭を継いだ日も、臼井さんはいつもと同じ時刻に来て、プレハブの事務所の鍵を開けました。

「今日から、蟹の庭です」
「はい。印鑑は、これまでどおりお預かりします」

苗を二百本植えるには、人手が足りません。蟹江さんは、求人票を出しました。職種「柿の栽培・収穫・加工・販売」、給与「二つからお選びいただけます」。道の駅の掲示板に一枚貼り、求人サイトにも載せました。

応募してきたのは、四人でした。

猿渡さんは、面接の前に、入口の脇の古い木のいちばん上まで素手で登り、降りてきてから、ジャケットの袖を直しました。栗原さんは、加工場の仕事を希望しました。蜂谷さんは、面接を待つあいだに、事務所の机に置いてあった柿の傷を三つ見つけました。牛島さんは、前は牧場で堆肥を作っていました。

臼井さんも、代替わりを機に、お給料を選び直すことになりました。

挿絵:入口の脇の古い柿の木のいちばん上から、ジャケット姿のまま素手で降りてくる猿渡さんと、事務所の窓から見上げる蟹江さんと臼井さん

蟹がおにぎりを、猿が柿の種を拾った……のではありません。

面接の日、五人は事務所の会議机に、パイプ椅子を並べて座りました。机の上には、労働条件通知書が二通と、おにぎりが一つと、柿の種が五粒置いてありました。

蟹江さんは、通知書を一通ずつ指で押さえて、五人にまとめて説明しました。おにぎりは、毎月決まった額のお給料です。柿の種は、毎月のお給料を少し減らすかわりに、新しい木が実ったら、その利益を分ける約束です。

蜂谷さんが、手を挙げました。
「分ける利益の計算は、どこに」
「通知書の、裏に」

猿渡さんも、手を挙げました。
「実るのは、いつですか」
「桃栗三年、柿八年と申します」
「おにぎりで、お願いします」

猿渡さんは、契約書の、おにぎりの欄に丸をつけてから、言い足しました。

「八年は、待てません」

それから、その場でおにぎりを食べました。梅でした。食べ終えると、包んであったラップを小さく畳んで、ジャケットのポケットにしまいました。

誰も、何も言いませんでした。臼井さんが「では、わたしは種にいたします」と言って、最初に一粒取りました。続いて、ほかの三人も一粒ずつ取りました。栗原さんは種をハンカチに包み、蜂谷さんは種を窓の光にかざして、傷がないのを確かめました。

机の上には、柿の種が一粒残りました。

五人が署名した契約書は、臼井さんが、事務所の耐火金庫にしまいました。

春のうちに、蟹江さんと五人は、斜面に苗を二百本植えました。苗は、膝の高さほどでした。蟹江さんが穴の位置に杭を打ち、栗原さんと蜂谷さんが苗を運び、臼井さんが本数を数えました。猿渡さんは、二百本のうち八十本を一人で植えました。

牛島さんは、植え穴の土に堆肥を混ぜました。堆肥には、隣町のおじいさんから分けてもらった薪ストーブの灰が入っていました。おじいさんは、枯れ木に撒くと花が咲くと言っていましたが、苗は枯れていなかったので、そのまま土に混ぜました。

四人の柿の種は、庭の隅に植えて、それぞれに白い名札を立てました。臼井さんは、並んだ四つの小さな土の盛り上がりを見て言いました。

「先代は、毎朝、早く芽を出せと声をかけておられました」
「はさみは、剪定にしか使いません」

蟹江さんは、残った一粒も、庭の隅に植えました。

挿絵:庭の隅の小さな五つの土の盛り上がりと、四本の白い樹脂の名札。そばにしゃがむ蟹江さんの腰に剪定ばさみ

その春から、猿渡さんの昼は、いつもおにぎりでした。猿渡さんは、入口の脇の古い木のいちばん上で、斜面の苗を見下ろしながら、それを食べました。柿が実るまで、八年かかるそうです。

— 第一話 おわり —第二話 桃栗三年、柿八年です。 →
次の話 ・ 第二話桃栗三年、柿八年です。 →

この連載の話

  1. 第一話おにぎりで、お願いします。
  2. 第二話桃栗三年、柿八年です。
  3. 第三話分け前の話を、させてください。
  4. 第四話その件は、円満退職です。

ほかの昔話