その夏のあぜ道は、足音が、例年より多かったそうです。
三年と三月目の、七月の夜の二時でした。寝太郎の部屋の窓の下を、長靴の足音がいくつも行き来していました。
寝太郎は、目を覚ましました。町のためでは、ありません。足音で、眠れなかったからです。
寝太郎は階段を下りて、台所で水を一杯飲みました。勝手口が開いて、懐中電灯を持った父が戻ってきました。
「起きたのか」
「足音が」
「水見回りだ」
父は懐中電灯を消して、流しで手を洗いました。
母は二時十四分に、親戚のグループ LINE へ送りました。
「本日、起床しました」
返信が、すぐに八つ来ました。全部、「おはようございます」でした。
寝太郎は、起きていました。
寝太郎は山へ登って大岩を……動かすのではなく、納屋で段ボールを開けました。
母が、麦茶をつぎながら言ったからです。
「そういえば、会社から、何か届いてたよ」
寝太郎は父の懐中電灯を借りて、納屋へ行きました。農機具の奥に、「天地無用」の箱が三つ、積んだときのまま並んでいました。伝票の宛名は、太郎でした。
カッターで開けると、水位センサーが二十四本、自動水門が六基、中継機が一台、入っていました。いちばん上に、説明書が一冊載っていました。表紙には、「取扱説明書(第三版) 作成:太郎」とありました。
材料は、三年前から納屋にありました。

夜が明けると、あぜ道に人が並びました。寝太郎が起きたと聞いて、組合長や近所の人たちが見に来たのです。みんな、目の下にくまがありました。
寝太郎は寝間着のスウェットに長靴をはき、軍手をして、田んぼを一枚ずつ回りました。持ち主を見つけると、そのたびに聞きました。
「刺してもいいですか」
持ち主がうなずくと、寝太郎は田んぼの隅の泥に、センサーを一本刺しました。同じことを、二十四回聞きました。最後に聞いた相手は、父でした。
「刺してもいいですか」
「うちの田んぼだ」
「刺してもいいですか」
父は、うなずきました。
取水口には、自動水門を据えつけました。昼はあぜ道に腰を下ろして、母のおにぎりを二つ食べました。午後は、並んでいた人たちのスマートフォンに、一台ずつアプリを入れました。
夕方には、済みました。組合長が腕を組んで言い、父が続けて聞きました。
「三年寝て、作業は一日か」
「夜は、見に行かなくていいのか」
寝太郎は、軍手を外しながら答えました。
「見に行かなくていい水は、見に行かなくていいんです」
それから「おやすみなさい」と言って、二階へ上がりました。六時には、寝ていました。母は親戚のグループ LINE に、「本日、再び就寝しました」と送りました。
日が暮れるころ、用水路を、お椀が一つ流れていきました。中に、何か小さなものが座っていたそうです。水位は、変わりませんでした。
その夜、町じゅうのスマートフォンが鳴りました。
「水位が設定値に近づいています」
「水門を開けました」
「水門を閉めました」
「中継機と通信しました」
「水位に異常はありません」
通知は、十五分おきに来ました。
「水位に異常はありません」
「水位に異常はありません」
「水位に異常はありません」
父は通知が鳴るたびに起きて、画面を見て、懐中電灯を持ちました。
「通知が来たから、水、見てくる」
その晩のあぜ道の懐中電灯は、前の晩より多かったそうです。

翌朝六時、防災無線が鳴りました。
「おはようございます。昨夜の町の平均睡眠スコアは、三十一でした」
寝太郎は、寝ていました。睡眠スコアは、百でした。
寝太郎のスマートフォンは、通知が切ってありました。









