年の瀬に、合意書が交わされました。抜粋は、次のとおりです。
退職合意書(抜粋)
蟹の庭 蟹江(以下「甲」という)と猿渡(以下「乙」という)は、乙の退職について、次のとおり合意する。
第一条 乙は、本年十二月三十一日をもって退職する。
第二条 乙は、退職の日までに、乙が開いた売り先十四軒を、甲の指名する者(蜂谷)とともに一軒ずつ訪ね、引き継ぐ。
第三条 甲は、一軒の引き継ぎが済むごとに、その場で、乙に引き継ぎ手当を支払う。
第四条 甲は、乙の求める歩合を支払わない。乙は、これを了承する。
第五条 (略)
第六条 甲及び乙は、本合意の内容を、第三者に口外しない。
第七条 甲及び乙は、本件退職が円満なものであることを、相互に確認する。
甲 蟹の庭 蟹江(署名・押印)
乙 猿渡(署名・押印)
立会人 臼井(押印)
判は、事務所の会議机で押されました。蟹江さんと猿渡さんが署名したあと、臼井さんがカーディガンのポケットから庭の印鑑を出し、両手を重ねて、一枚ずつ押しました。
「では、円満ということで」
引き継ぎは、四日かかりました。猿渡さんが軽トラックを運転し、助手席の蜂谷さんが、膝の上のタブレットに売り先の名前を一軒ずつ打ちこみました。
町の青果店では、主人が、箱の中の柿をのぞいて言いかけました。
「この柿は、」
蜂谷さんは、タブレットの検品表を主人に見せました。一つずつの硬さと色と傷の数が、八年分並んでいました。主人はしばらく画面を見て、黙りました。それから「来年も、お願いします」と言いました。
猿渡さんは、一軒ごとに手当を受け取って、領収書を書きました。領収書は、十四枚になりました。
帰り道、二人はあまり話しませんでした。最後の店を出たときには、雪が降りはじめていました。

合意書の第五条は、次のとおりでした。
退職合意書(抜粋)
第五条 甲は、庭の隅の五本目の柿の木を乙の分とし、その実を、毎年、乙の住所へ送る。
五本目の木は、八年目の秋に、初めて実をつけていました。
大みそかの前の日、猿渡さんのアパートに、宅配の伝票を貼った木箱が届きました。箱には、蟹の印が押してありました。中には柿が十二個と、添え状が一枚入っていました。添え状には、蟹江さんの字で「お元気で」とだけ書いてありました。
種から育った木なので、渋柿でした。
猿渡さんは、栗原さんに電話をかけて、干し柿の作り方を聞きました。
「どのくらいで、甘くなりますか」
「一か月です」
「一か月なら、待てます」
猿渡さんは、ピーラーで十二個の皮をむき、へたに紐をかけて、ベランダの物干しに吊るしました。
一月の終わり、干し柿は甘くなりました。猿渡さんは、それを、日を空けて一つずつ食べました。
春、猿渡さんは、求人サイトで求人票を一枚見つけました。職種「鬼退治(フルリモート)」、勤務地「不問」、服装「自由(カメラに映る範囲のみ)」。福利厚生の欄には、きびだんご一つ、と書き加えてありました。
面接の日、猿渡さんはジャケットを着て、カメラをオンにしました。背景は、南国の浜辺にしました。うしろの窓の干し柿が、映らないようにです。
「前職では、柿の木のある庭で、栽培と収穫を担当しておりました」
「蟹さんのところですね」
「その件は、円満退職です」
身振りをするたびに、画面の中の猿渡さんの耳から先が、浜辺に消えました。その日のうちに、内定の連絡が来ました。

猿渡さんは、最後の干し柿の種を、ベランダの鉢に埋めました。
おにぎりを食べながら、種を一粒まいておこう。








