原作:猿蟹合戦第四話 / 全四話 ・ 約3分

その件は、円満退職です。

連載「八年は、待てません。」
連載
八年は、待てません。
テーマ
お金
読了
約3分
公開
挿絵:年の瀬のプレハブの事務所。会議机の上の退職合意書に、カーディガン姿の臼井さんが判を押している。朱肉と捺印マット、向かい合って座る蟹江さんと猿渡さん、窓の外に軽トラック

年の瀬に、合意書が交わされました。抜粋は、次のとおりです。

退職合意書(抜粋)

蟹の庭 蟹江(以下「甲」という)と猿渡(以下「乙」という)は、乙の退職について、次のとおり合意する。

第一条 乙は、本年十二月三十一日をもって退職する。

第二条 乙は、退職の日までに、乙が開いた売り先十四軒を、甲の指名する者(蜂谷)とともに一軒ずつ訪ね、引き継ぐ。

第三条 甲は、一軒の引き継ぎが済むごとに、その場で、乙に引き継ぎ手当を支払う。

第四条 甲は、乙の求める歩合を支払わない。乙は、これを了承する。

第五条 (略)

第六条 甲及び乙は、本合意の内容を、第三者に口外しない。

第七条 甲及び乙は、本件退職が円満なものであることを、相互に確認する。

甲 蟹の庭 蟹江(署名・押印)
乙 猿渡(署名・押印)
立会人 臼井(押印)

判は、事務所の会議机で押されました。蟹江さんと猿渡さんが署名したあと、臼井さんがカーディガンのポケットから庭の印鑑を出し、両手を重ねて、一枚ずつ押しました。

「では、円満ということで」

引き継ぎは、四日かかりました。猿渡さんが軽トラックを運転し、助手席の蜂谷さんが、膝の上のタブレットに売り先の名前を一軒ずつ打ちこみました。

町の青果店では、主人が、箱の中の柿をのぞいて言いかけました。

「この柿は、」

蜂谷さんは、タブレットの検品表を主人に見せました。一つずつの硬さと色と傷の数が、八年分並んでいました。主人はしばらく画面を見て、黙りました。それから「来年も、お願いします」と言いました。

猿渡さんは、一軒ごとに手当を受け取って、領収書を書きました。領収書は、十四枚になりました。

帰り道、二人はあまり話しませんでした。最後の店を出たときには、雪が降りはじめていました。

挿絵:雪の降りはじめた町の青果店の店先で、タブレットの検品表を主人に見せるダウンジャケット姿の蜂谷さんと、うしろに立つ作業着の猿渡さん。店の前に軽トラック

合意書の第五条は、次のとおりでした。

退職合意書(抜粋)

第五条 甲は、庭の隅の五本目の柿の木を乙の分とし、その実を、毎年、乙の住所へ送る。

五本目の木は、八年目の秋に、初めて実をつけていました。

大みそかの前の日、猿渡さんのアパートに、宅配の伝票を貼った木箱が届きました。箱には、蟹の印が押してありました。中には柿が十二個と、添え状が一枚入っていました。添え状には、蟹江さんの字で「お元気で」とだけ書いてありました。

種から育った木なので、渋柿でした。

猿渡さんは、栗原さんに電話をかけて、干し柿の作り方を聞きました。

「どのくらいで、甘くなりますか」
「一か月です」

「一か月なら、待てます」

猿渡さんは、ピーラーで十二個の皮をむき、へたに紐をかけて、ベランダの物干しに吊るしました。

一月の終わり、干し柿は甘くなりました。猿渡さんは、それを、日を空けて一つずつ食べました。

春、猿渡さんは、求人サイトで求人票を一枚見つけました。職種「鬼退治(フルリモート)」、勤務地「不問」、服装「自由(カメラに映る範囲のみ)」。福利厚生の欄には、きびだんご一つ、と書き加えてありました。

面接の日、猿渡さんはジャケットを着て、カメラをオンにしました。背景は、南国の浜辺にしました。うしろの窓の干し柿が、映らないようにです。

「前職では、柿の木のある庭で、栽培と収穫を担当しておりました」
「蟹さんのところですね」
「その件は、円満退職です」

身振りをするたびに、画面の中の猿渡さんの耳から先が、浜辺に消えました。その日のうちに、内定の連絡が来ました。

挿絵:春のアパートのベランダに吊るした干し柿の向こう、部屋の中で、干し柿の窓に背を向けてノートパソコンに向かうジャケット姿の猿渡さん。画面の中央には書類に目を落とす面接の相手、隅の小さな窓には南国の浜辺の背景の猿渡さん

猿渡さんは、最後の干し柿の種を、ベランダの鉢に埋めました。

おにぎりを食べながら、種を一粒まいておこう。

— 第四話 おわり —

この連載の話

  1. 第一話おにぎりで、お願いします。
  2. 第二話桃栗三年、柿八年です。
  3. 第三話分け前の話を、させてください。
  4. 第四話その件は、円満退職です。

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